そしてそこにいたのは黒々とした狸だった。夕香がしゃがんで突っついていると狸が攻
撃してきた。それを月夜は踏んづけて止めると地面に押し付けた。踏み潰さず動かせずの
絶妙な力加減だ。
「何用だ、小妖怪」
「小妖怪とは失礼な」
「あたしに攻撃するのも十分失礼だと思うんですけど?」
 とりあえずは天狐の姫だ。今すぐにでも爺に言いつければこんなものすぐに祓われるだ
ろう。否、狸汁にして食われるだろう。
「この錯誤娘」
「縛」
 夕香は術で縛って首根っこを掴んで顔を向けさせた。狸汁にしよっかなあと内心思いつ
つも最後の機会を与えた。
「何の用なの。場合によっては祓ってさし上げるけど」
「貴様などの矮小な術者ごときに祓われる我ではないわっ」
「じゃあ試してみよう」
 夕香は放り投げて空中で貼り付けにして縛った霊力をといた。
「コレぐらいの芸当ができる術者なんて早々いないと思うんだけどなあ?」
 少しずつ天狐の神気を使ってつま先からじわじわと責めると狸はぶるぶると震え始めた。
さすがに哀れに思ったのか、月夜は夕香の肩を叩いた。
「いいの、口が過ぎる若狸にはもう少しお痛を与えないと」
 爪を神気で祓って本格的に泣き始めた狸を解放して転がった狸にもう一度しゃがんでつ
ついた。
「こいつ、絶対、サドだ」
 顔を引きつらせている月夜には目も向けず夕香は狸を見ていた。
「さあ、たぬのところに行って、尋問させてもらいましょうか」
「何を言っている。わっぱごときが」
 頭蓋骨が砕けるのではないかと思うぐらいの拳骨が狸の頭に入った。
「まだわかんないのかなあ、この馬鹿狸!」
「わかるか、このアホ娘」
「おいおいやめとけって。こいつ、天狐の姫と歌われる女だぞ、その気になればお前なん
て俺がすぐに祓ってやる」
 違う所に論点が行ったのを感じたが、それをさらに使おうと夕香の頭がいつもより数倍
も早く働いた。
「そうそう、あんたなんてあたしの手を煩わせる妖怪でもないのよ」
「すっげーいやみな女」
「別にいいのよ、こんなやつにいやみなんて通じないから」
 はっきりという夕香に演技なのか、素なのかわからなくなってしまった月夜は狸を見た。
きょとんとして夕香を見ている。
「お前、天狐、知らねえのか」
 呻いた狸に夕香は襟首を乱暴に掴んで莉那の所に連れて行った。
「莉那、こいつ知ってる?」
「うん? あ、叔父さんだ」
 ぱっと顔を輝かせた莉那にそれを放って投げて夕香は月夜を殴ろうとした。危うくそれ
を回避してしばらく夕香のサンドバックになってやった月夜は相当腹に来てたようだなと
侮辱する類の言葉は控えようと思った。
「で、なにやらかしたの?」
「あの娘が我の事を侮辱するからな」
「ああ、当たり前でしょ。神格が違うもの」
 さっぱりといった莉那にストレス発散で動き回っていた二人は固まってしまった。莉那
の手にいる狸にいたっては真っ白になっていた。
「どういう」
「どういうも、お狐さんは、九尾の狐じゃなくて、四本の尻尾の狐の神様の一族なんだよ。
おじさん、そんな相手に喧嘩売っちゃったんだ」
 はっきり言う莉那に二人は顔を見合わせて引きつった笑いを浮かべた。真顔でかなり堪
える言葉を吐く莉那に言葉をなくしたのが真実だ。
 よもや莉那に教えられるとは思ってなかったのだろう。狸は真っ黒が真っ白になってそ
の場で固まっていた。
 彼女らしい理解の言葉だが、狸にはわかりやすかったのかもしれない。何がともあれ、
やっと神格の違いをわかってもらえたらしい。
「そんな、わっぱが……」
「莉那。こいつ、天狐の里に放り込んでいいかな?」
「うん。そうして、いつも、口が過ぎるってお上さんに言われてるのに、神様侮辱したん
だからね。やっていいよ」
「わかった」
 夕香はにんまり笑うと狸の首根っこを引っつかんで呪符で天狐の里研修旅行に行かせよ
うとしたが、ふと、何でコレがここにいるかが気になった。
「ねえ、なんで、あんたここにいるの?」
「……そうじゃ、莉那、母上が」
「送って」
「了解」
「ちょ、まて」
 その言葉をきれいに無視して夕香は送還を実行した。跡形もなくなった狸の痕跡に夕香
は深く溜め息をついた。
「大変ね、あんたんちも」
「みんながあんなんじゃないけど、ねえ」
「特別なのはあれだけか」
「そう」
 珍しく疲れたようにしている莉那の肩を叩いて、月夜たちは体育館を眺めやり蒼くなっ
た。
「やべっ」
 あまりに時間に余裕がなかったのだろうか。二人して術を使って体育館に戻っていった。
用法を間違えなければ役に立つのは人ではなく薬でもなく術であった。




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